Nobuhito Takahashi
三菱養和スポーツクラブからFC東京U-18に進み、背番号10をつけ攻撃的MFとして活躍。
2001年には、トップチームへと昇格した馬場憂太、尾亦弘友希らとともに、クラブユース優勝、
高円宮杯及びJユースカップに準優勝という結果を残した。
2002年に東京農業大学に進学した後、サッカー部では2年時から先発に定着し、以後公式戦全試合に出場した。
大学を卒業した2006年にはJFLの佐川急便東京SCに加入。右サイドバックにコンバートされ、
運動量と攻撃力を生かしてレギュラーとして活躍するも、シーズン途中に負傷で離脱した。
チームの合併に伴い、翌2007年からは佐川急便サッカークラブ(2008年よりSAGAWA SHIGA FC)に加入した。
合併初年度より右サイドバックで起用され、さらに2008年以降は元来の攻撃的なポジションでも活躍。
2009年シーズンには全試合に出場するとともに、シーズン中盤からは1トップのFWとしても出場するユーティリティ性をみせ、
チーム2度目の優勝に大きく貢献した。2010年にはチーム状況によって再びサイドバックとMF、FWを兼任し、
終盤に負傷欠場があったものの国内自己最多となる7得点を挙げた。
2011年までSAGAWA SHIGAでプレーし、複数のポジションをこなして3度のJFL優勝を支えた。
2012年からはタイに活躍の場を移し、6月にタイ・ディヴィジョン2に所属するアーントーンFCに加入した。
攻撃陣の中心として活躍し、2013年にはチームのディヴィジョン1昇格に貢献した。
2015年までアーントーンでのプレーを続け、115試合に出場。この年のシーズン終了とともに引退を表明した。
JUN KOCHI
三菱養和サッカークラブから国士館大学を経て、静岡FC、YSCCでプレーした後
2009年に海外リーグへ海外1年目は、シンガポールSリーグのアルビレックス新潟シンガポールでプレーした。
翌年2010年には、タイプレミアリーグのアーミーユナイテッドに移籍。
2年間プレーした後にシラチャスズキFC、パタヤユナイテッドでプレーしトータル5シーズンをタイで過ごした。
2015年、ミャンマーナショナルリーグ、ラカインユナイテッド
2016年、モルディブプレミアリーグの名門ニューラディアントスポーツクラブで
全試合に、出場し2016年度ベストゴールキーパーアワードにノミネートされる。
2017年、2部より昇格したクラブグリーンストリートに移籍した。
1部に昇格したばかりのクラブを後方から支え前年に引き続き、ベストゴールキーパーアワードにノミネートされる。
日本人キーパーとして4カ国のトップリーグで9年間プレーした。
ゴールキーパーという海外で活躍する事が難しいポジションながらプレーを続け、
2018シーズンで海外リーグ、10年目を迎える。
DAVIDSON JUN MARQUES
父親がアメリカ人,母親が日本人。小学3年生時にサッカーを始め東京ガス(後のFC東京)の下部組織に加入。
柴田峡らの指導により力を付けた。同期には尾亦弘友希、石川高大、来栖由基ら。
高校生時には父の故郷であるアメリカのサッカースクールに渡り、多国籍の環境下でプレーすることで
精神的にも鍛えられた。同スクールの監督がJリーグ・大宮アルディージャのピム・ファーベーク監督と
知己だったことから大宮での練習に参加する機会を得て2002年8月より加入。
2007年、アルビレックス新潟へ完全移籍。
その後にヴィッセル神戸・コンサドーレ札幌を経てアルビレックス新潟に復帰した。
2010年、マーティン・レニー (Martin Rennie) が率いるUSSF・カロライナ・レイルホークスへ移籍。
2011年、徳島ヴォルティスに移籍。J1昇格圏内入りには僅かに届かず、1年で退団。
日本国内のクラブからも誘いを受けていたが、レニーに請われ2012年より
MLS・バンクーバー・ホワイトキャップスへ移籍。ジョック・マクドナルド賞を獲得した。
http://www.uslsoccer.com/news_article/show/626058
2014年、カロライナ・レイルホークスへ復帰し主将を務めた。
2015年、タイ・プレミアリーグ・サイアム・ネイビーFCへ移籍。
2016年、シャーロット・インデペンデスへ移籍。リーダーシップとゲームコントロールを評価されレギュラーを確保。
NORIO SUZUKI
小学校時にジェフユナイテッド市原スクールに入会。中学に入学するとジェフ市原ジュニアユースに昇格。1998年にはU-15クラブユース選手権で全国優勝を果たした。
高校選手権で「羽生(直剛)さんがいて、面白いサッカーをしている」と地元千葉の八千代高校に好印象を持ったことからユース昇格を選ばず1999年に八千代高校へ進学。国体の優秀選手に選ばれるなど頭角を示した。
山崎真からの勧誘を受けて2002年に高校を卒業しFC東京へ入団。同年11月のJ1セカンドステージ第13節清水戦でリーグ戦初出場。2003年にはU-20日本代表としてワールドユースに参加。ロベルト・カルロスにちなんだ「ノリカル」の愛称は、U-20代表のチームメートがシュート練習の時に言い出したことがきっかけだという。
FC東京でも出場機会を徐々に増やし、2004年6月のナビスコカップ神戸戦では、ゴールまで約30メートルの位置から左足で強烈なフリーキックを突き刺し、原博実監督から「FKだけでお客を呼べる魅力のある選手」と賛辞された。サポーターにとっても衝撃は大きく、この得点以降FKの際は、鈴木が助走を取るだけで場内から歓声が挙がる程だった。
2006年、ガーロ監督によってコンバートされ、左サイドバックを経験。自身の思うような攻撃参加はできなかったものの、DFが嫌がるプレーを実感したことで左サイドハーフへと戻ってからは一層の力を発揮。2007年には公式戦4試合連続ゴールを挙げた。また、相手からの警戒を掻い潜るべく右サイドハーフでもプレー。右での突破を選択肢に持つことによって得意の左足シュートを活かした。
チームの主力級として活躍するまでになったことで新たな刺激を求め、2008年1月、パトリック・エムボマの仲介によりフランス2部・アンジェSCOの練習に参加。紅白戦で強烈なゴールを決めたことで高評価を得て、複数年契約の正式オファーを受けたが、先んじて鈴木獲得に乗り出していたヴィッセル神戸への移籍が基本合意に至っていたことからこれを固辞した。帰国後、推定移籍金約2億円で神戸へと完全移籍。
2009年6月末、依然鈴木を評価しているというアンジェSCOから再オファーが届き、同クラブへと完全移籍。
2010年7月、大宮アルディージャに加入。大宮では当初からDFで登録されて左サイドバックのレギュラーを確保し2013年までプレーした。
2014年、ベガルタ仙台へ完全移籍。大宮在籍時同様に当初はサイドバックとして構想されながらもFWなど攻撃的ポジションに配された。
2015年4月、フィリピン・ユナイテッド・フットボールリーググローバルFCへ完全移籍。
HIROYUKI OMATA
小学校2年生の時にサッカーを始める。FC東京の下部組織に加入し同期の高橋延仁、馬場憂太、石川高大、来栖由基らと共に2001年のクラブユース選手権で優勝した。2002年、馬場と共にFC東京のトップチームへ昇格。クラブ創設以来初の下部組織からのトップ昇格だった。同年4月の市原戦で左サイドハーフとしてJリーグデビュー。U-19日本代表としても活動し、左足のキックに高評価を受けていた。2003年には2ヶ月間、FCポルトへ短期留学し2004年には大宮アルディージャへ期限付き移籍。大宮ではセンターバックとして出場し2005年にFC東京へ復帰。
2006年より湘南ベルマーレに完全移。同年のリーグ戦では出場停止を除く全試合に出場しチーム最多・最長出場を記録。左サイドバックのレギュラーポジションを確保した。
2008年からセレッソ大阪へ完全移籍。
2012年よりJ2アビスパ福岡へ完全移籍。サイドからのクロスによるチャンスメイクは健在で攻守に貢献。2014年3月に自身のブログで現役引退を表明した。
2014年4月より古巣FC東京の普及部コーチに就任。
2016年、東京都リーグ2部の南葛SCにコーチ兼任で加入した。
2001年 U-18日本代表
2002年 U-19日本代表
2003年 U-20日本代表
CHIAKI MINAMIYAMA
小学1年からサッカーを始め、信篤FC、市川FCレディースを経て、中学入学と同時に読売メニーナ(現日テレメニーナ)に入団。
2003年より日テレベレーザに昇格し、日本女子体育大学に進学した。大学在学中の2007年には、ユニバーシアード代表に選出された。
2010年5月には、アジアカップの壮行試合でなでしこジャパンに初選出された。
壮行試合ではメキシコ戦で2ゴールを挙げるなど活躍した。
同年9月、なでしこリーグの試合中に左膝前十字靱帯断裂の大怪我を負い、長期離脱を余儀なくされる。
怪我でリハビリ中だった翌2011年1月、澤穂希、大野忍、近賀ゆかりと共にINAC神戸レオネッサに移籍した。
同年5月、約9ヶ月ぶりに怪我から戦線復帰し、以降は代表選手の多いチームの中でスタメンに定着した。
2017年1月12日、6年間在籍したINAC神戸レオネッサを退団することが発表された。
2017年6月に韓国・WKリーグの華川KSPO(韓国語版)に加入[5]。同リーグでプレーする最初の日本人選手となった。
MITSUE IWAKURA
小学年代では小池FC、中学年代ではクラブチームのFC駒沢、高校年代では日本大学櫻丘高校女子サッカー部でプレイした。
日大櫻丘高校卒業後には日本大学進学と並行して日本女子サッカーリーグのさいたまレイナスFC(現・浦和レッズ・レディース)に入団し、
2年目の2004年シーズンに初めてリーグ優勝。2005年には夏季ユニバーシアードに出場する女子日本代表の一員に選ばれ、
川澄奈穂美、岩清水梓、近賀ゆかりらとプレー、3位決定戦でフランスを破って銅メダルを獲得した。
2009年には自身2度目、浦和レッドダイヤモンズ・レディースへの改名後初のなでしこリーグ優勝を経験した。
フィールドプレーヤーとしてはクラブ最長となる9年間浦和レッズ・レディースでプレーし、2011年シーズン終了後に退団した。
2012年8月にはアトレティコ・マドリードの女子チームであるアトレティコ・マドリード・フェミーナス(スペイン)のトライアルを受け、
アトレティコと契約を交わした。2012-13シーズンのアトレティコ・フェミーナスはプリメーラ・ディビシオン・フェメニーナで3位となった。
2013年にバレンシアCFの女子チームであるバレンシアCF・フェメニーノ(スペイン)に移籍した。
2014年5月にはバレンシア・フェメニーノが日本に遠征し、岩倉の古巣である浦和レッズレディースと親善試合を行った。
YUKI BAMBA
草津東高校から京都産業大学を経て、2009年よりJFLのSAGAWA SHIGA FCに加入。
加入初年度から中盤の守備的なポジションで起用され、2009年、2011年の2度のJFL優勝に貢献した。
2012年からはタイに活躍の場を求め、タイ・ディヴィジョン1リーグのスパンブリーFCに移籍。
中盤の要として活躍し、チームのタイ・プレミアリーグへの昇格に貢献した。
2013年シーズンはディヴィジョン1のバンコクFCに移ってプレーした。
2014年にはタイ・プレミアリーグの強豪チョンブリーFCに移籍して大学同期の櫛田一斗とともにプレーした。
2015年には出場機会を求めて、ディヴィジョン1のBBCU FCに移籍。
2016年にディヴィジョン1のタイ・ホンダFCに移籍。
2017年にディヴィジョン1のナコンパトムに移籍。
2018年にディヴィジョン1のトラートに移籍しプレー中
SHOTA WADA
中学時代は地元杉並のジュニアユースチーム、昌大サッカークラブU-15に所属。
堀越高等学校卒業後、神奈川大学に進学するも中退。その後埼玉SCで1年間プレイしたのち
九州サッカーリーグ(後にJFLに昇格)のFC琉球に移籍した。
2007年は北信越フットボールリーグのフェルヴォローザFCに所属した。
フェルヴォローザFCが経営難に陥ったことから、シーズン途中の8月にJFLのアルテ高崎に移った。
2008年グルージャ盛岡・2009年はツエーゲン金沢に移籍をした。
2010年栃木ウーヴァFCへ移籍。2012年を以て退団。
2013年タイ・ディヴィジョン1リーグのTTMロッブリーFCに移籍。
2014年タイ、リージョナルリーグ・ディヴィジョン2のホアヒン・シティFCに移籍。
2017年タイ・リーグ3 (T3)のシンブリー・バンラチャン FCに移籍。コーチ兼任でのプレーとなる
TOMOYA SUWA
1985年生まれ。FC東京ユースでGKとして活躍。
1年生時にクラブユース優勝、高円宮杯及びJユースカップに準優勝という結果を残した。同期には李忠成や梶山陽平や鎌田次郎がいる。
その後、美容専門学校を経て現在、銀座でトップスタイリストとして数多くのタレントやモデル、サッカー選手のヘアを担当。
現在までに下記のコンテストを受賞している。
<受賞歴>
2012年Mロードコンテストグランプリ受賞
2012,2013年ウエラトレンドヴィジョンジャパンファイナリスト
2013年JHAニューカマーオブザイヤーノミネート
2014.2015年THA【東京ヘアドレッシングアワード】ファイナリスト
2015年tredinaフォトコンテスト3位
2016年NYLON×ロコルコンテスト 優秀賞
2017年 SOIREE CONTEST
W受賞
その他コンテストで多数受賞中
YUKINOBU IWAMA
1988年生まれ。東京都杉並区育ち。
小学校2年生からサッカーを始め、中学時代はFC渋谷でプレー。
高校は東京都の実践学園へ進学し、3年生時にインターハイ出場。
拓殖大学へ進学しサッカー部に所属した。
同期に川崎フロンターレのキャプテンの小林悠がいた。
共に大学時代にプレーした。
大学を卒業した後にプロの夢を諦めきれず
プロサッカー選手を目指して単身コスタリカに行き2011年にDeportivo Barrio Mexico(コスタリカ2部)と契約し攻撃的MFとしてプレーした。
2012年にはAserriFC(コスタリカ2部)でプレーした。
SHINTARO TOKOI
1998年 – 2000年 市立浦和高校
2001年 – 2004年 青山学院大学
川口SC
NECトーキンサッカー部 (現・NEC TOKIN FC)
2008年 アルテ高崎
2010年 アヴェントゥーラ川口
2011年 シンブリーFC(タイリーグディヴィジョン1)
2011年 アーントーンFC(タイリーグディヴィジョン1)
SHOTA SUZUKI
ラフティング国内唯一のプロ実業団チーム「Team TEIKEI」にて元ラフティング・レース日本代表として世界を相手に各国で活躍した。
ラフティング・ガイドとしても、全日本リバーガイド選手権大会で優勝。
今までに下記の大会で受賞している。
2008年
リバーガイドオブザイヤー優勝
2012年
ラフティング世界選手権ニュージーランドプレ大会 総合優勝
2013年
ユーロカップ スロバキア大会 総合優勝
ラフティングニュージーランド大会 総合準優勝
2014年
ユーロカップ チェコ大会 スプリント3位 スラローム3位
ラフティング世界選手権ブラジル大会 総合4位
2017年
ユーロカップ ボスニア大会 総合優勝
ラフティング世界選手権 日本大会 総合 準優勝
CHIHIRO TADA
1993年8月24日青森県八戸市出身。
小学4年からサッカーを始め、青潮小学校サッカー部(青森県)と女子サッカークラブチームナカスポレディース(青森県)に所属しプレイした。
高校は千葉学園高等学校(青森県)サッカー部に入り、青森県選抜にも選ばれた。
高校卒業後はフットサルに転向し、バルドラール浦安ラス・ボニータス(千葉県)に入団。2018年シーズンは7年目を迎えキャプテンを務める。
下記が過去の成績。
2012年 関東女子フットサルリーグ優勝。
全日本女子フットサル選手権大会準優勝。
2013年 関東女子フットサルリーグ優勝。
全日本女子フットサル選手権大会第3位。
2014年 関東女子フットサルリーグ優勝。
全日本女子フットサル選手権大会第3位。
2015年 関東女子フットサルリーグ準優勝。
全日本女子フットサル選手権大会予選敗退。
2016年 関東女子フットサルリーグ第4位。
日本女子フットサルリーグプレ大会4位。
2017年 関東女子フットサルリーグ準優勝。
日本女子フットサルリーグ5位。
HONG TEIL
洪 泰日(ホン テイル)
1988年 東京生まれ。在日コリアン元サッカー選手。
幼少期から兄の影響でサッカーを始める。
東京朝鮮高校サッカー部から朝鮮大学校サッカー部に進学。
高校、大学ではキャプテンを努め、2011年に藤枝MYFCに加入。
2012年にJFL昇格を果たし、国体静岡県選抜に選ばれる。
2シーズン過ごした後に、プロの夢を諦めきれずに海外でのプレー決意。
2013年にFC KOREAを経て、タイのKrungthonburi FCに加入。
タイでの経験を活かして韓国、モンテネグロなど海外を転々とした後、2015年にガンジュ岩手に加入。
1シーズン過ごした後、2015年に現役を引退。
2015年-2017年 朝鮮大学校サッカー部のコーチ就任
2018年には『CONIFA W杯 in London』に、「United Koreans in Japan」の選手兼スタッフとして参加。
CONIFAとは、FIFAに加盟できない国や民族で結成された国際サッカー協会。北キプロスやチベットなど約50団体が所属。
JUNKI KAWAMURA
川村純貴
1988年5月14日生まれ
南百合丘S Cでサッカーを始め、サッカーの楽しさを知る。
中学時代は桐蔭学園中学校でプレーし、全国中学校サッカー大会で準優勝。
桐蔭学園高校では2年からメンバー入りしたが、高校サッカー選手権には出場できず、神奈川県予選で敗退。
明治大学に進学後、フットサルに挑戦し、ペスカドーラ町田アスピランチなどでプレー。
選手としてプレーする傍ら始めたコーチ業に没頭し、FC東京でサッカースクールのコーチや、
中学生クラブチームで経験を積み、現在はJリーグチームの下部組織にてジュニアユースコーチを務める。
夢は、自らサッカークラブを立ち上げ、日本サッカー界に貢献する選手を輩出し続けること。
ASUKA KUBOTA
1998年 〜2000年 日テレ・ニーナ入団
1999年 U−18女子全日本選手権大会優勝
U−19女子日本代表(〜2004年)
2001年 〜2004年 日テレ・ベレーザ入団 第13,14回 Lリーグ優勝
2004年 AFCアジア選手権大会出場 Martin Methodist College(アメリカ)
全米大会出場 all American選出
2005年 University of Memphis(アメリカ)
2006年 Michigan Hawks(アメリカ) Play off進出
2006年 浦和レッズレディース入団(〜2010年)
2007年 ユニバーシアード女子日本代表
2008年 大分国体優勝(埼玉代表)
2009年 なでしこリーグ優勝
2011年 現役引退